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陽気なジャニオタでありたい

担降りに1年かかった話

 

1992年11月21日にこの世にやってきた、
スーパーアイドル真田佑馬くん

2004年2月15日 入所。
担当を名乗り始めてから誕生日をお祝いするのは3回目になります。
彼自身は10年以上アイドルをやっているのに、たった3年しか担当としてリアルタイムで応援できてないんですよ。
もっともっと早く、好きになっていれば良かった、とよく思います。

真田くんは好きになった当初も今も、ジャニーズジュニアです。私は、
好きになってから担当になるのに、1年も時間を費やしてしまいました。
すっごいもったいなかったなって今でも後悔が消えません。

いつ誰に降りたって、その人には自分の知らない歴史があって、「もっと早くから観ていれば…」という思いを抱くと思います。
もしいま読んでくれている人に担降りを迷っている方が居たら、この私の後悔の歴史を読んで「いやさっさと降りなきゃ」と思うかもしれませんが、そこは自分の悔いの無いようやってください…。

真田くんの担当になると決めたときの気持ちをずっと文章で残したいと思っていました。

3回目のお誕生日を迎えるこのタイミングで残そうとつらつら書いてみました。
いわゆる「担降りブログ」(ポエム付き)です。

真田くんの誕生日なのに自分の話をするなんて、なんともめんどくさいオタクのようですが、良ければお付き合いください。
(長いです)

 

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皆さん、Sexy Champ をご存じですか?
2014年ジャニーズ銀座で突如現れた、
ジェシー/増田良/半澤暁/真田佑馬/森田美勇人/岡本カウアン/アンダーソン/山倉沙瑠芙
からなる、顔面濃度が高めのグループです。

森田担の友人から「ありえんくらい倍率の高い公演に応募したいから手伝ってほしい」との連絡を受け申し込み、唯一当たったのがこのSexy Champの1公演でした。

A.B.C-Zの五関くんのファンだった私は少クラを見ていたこともありジュニアに興味があったので、軽率にこの公演に一緒に入ったのです。
冷静に考えると、担当でもなんでもないんだから友人に二連で譲ってやれよって感じですよね。
当時はクリエの貴重さも知らなかったのでそこは大目に見てください…

なかなか自担に団扇を振れないデビュー担だったので、せっかく団扇を持てるなら作ってやろうと。*1
母に誰の団扇を作ろうかな~と相談したところ「真田くんでいいんじゃん?あんた最近よくかっこいいって言ってるし、文字も簡単だし」という非常にドライなアドバイスを受け、作成し持参しました。

友人が持ってきたパセリ柄の団扇に笑っているといよいよ公演がスタート。

初めて生で観るジュニアだけのステージ、若い!近い!!と圧倒されつつ「増田良さん顔が綺麗だなあ…」とか考えていたと思います。 

そして3曲目に披露したのが、「Secret Code


ニヒルに笑ったり、ジャジーな音楽に合わせて踊る真田くん。

えっ……こんな、えっ、真田くん…!?

真田くん、ちょうアイドルじゃん…

YOUコントしちゃいなよ(2013.12.31放送)のイメージも相まって、私の中で真田くんって「隣のお兄さん」だったんですよ。
それがこんな、キラキラしてて、歌って踊って…
この感じどこかで…ああ、中丸雄一のそれだ…とか思いました。

もうそこから目が離せなくて、真田くん以外の記憶がほぼありません。
唯一覚えてるのは女の子のコスプレの話になり、半澤がガーターベルトが好きだと言っていたことくらいです。

彼へのイメージを180度捻じ曲げられ会場を出てきた私。

おニューのスマホで真田くんのことを調べまくります。

 

そして気付きます。

「あれ、これから舞台出るの…?」

みんな大好き「オーシャンズ11」です。
香取慎吾さん主演、6/9~7/6にシアターオーブで上演していた伝説の舞台です。
この舞台には萩谷くん安井くんも出演していました。

クリエは5月だったのでもちろんチケットの公式販売は終了済み。
完売済みだったので、入るにはごにょごにょなチケットを手に入れるしかありません。

しかし、当時の私にはある懸念がありました。

「ジュニア観るために金を出したら、ジュニア担になってしまうのでは…?」

デビュー担、しかもA.B.C-Zというデビュー組の中でも現場代のかかるグループ*2を応援していた私。
これ以上お金が嵩むことは避けたかったのと、やっぱり一番はジュニア担って大変そう…ということ。
誰のバックにつくかもわからない、もしかしたらデビューを諦めて数年後に辞めてしまうかも。
石橋を叩いても渡らないタイプの私に、そんな博打度高めな世界に飛び込む勇気はまだありませんでした。

今は五関くんがやっぱりまだ好きだ!今回は見送ろう!と涙をのんで行きませんでした。
これを、生涯後悔することに気付かずに…

そして時は流れ10月
当時パリピ大学生だった私は秋は必ずハロウィンユニバに行っており、例年通り大阪へ夜行バスで向かいました。
早朝梅田に着き、朝ご飯を求め友人とぶらついていたところ梅田芸術劇場の前に。

もう、あの絶望は忘れません。

ちょうど梅田芸術劇場ではオーシャンズ11の大阪公演の真っただ中だったのです。

掲げられたオーシャンズの看板を見て、「あ、やっぱり行けばよかった」と思ってしまいました。
なんならユニバをキャンセルしてチケキャンでチケットを買って入りたかったくらいです。
しかし数少ない希少な友達をこれ以上失うわけにはいけないので、泣く泣くごきげんな仮想をしてユニバに向かいました。


年が明けた1月。「新春 JOHNNYS' World
結果からいうと、幕が開いてから下りるまで、真田くんのことしか見られませんでした。
当時の自担もメインキャストとして出ているというのに、です。

しかもベース弾いてたんすよ…指弾きで……
ずるくないですか?
あの体格で、あの男らしい手指でベース弾いてるんですよ…?
人生で付き合った男8割がバンドマンだった私(男運なし)には刺激が強すぎました。

しかもこの頃、なぜか周りが担折りラッシュで。
デビュー担だった友達もどんどんジュニアに堕ちていっていました。

このままでは本当にジュニア担になってしまう!と周囲に言いまくっていたのを覚えています。
知らねーよ降りろよって感じですが、当時優しく話を聞いてくれたお友達は本当に人格者だと思います。


2月、ガムシャラ!J's partyとかいう現場に申し込んだところ、真田くんが出演することに。

お気づきかもしれませんがもうこの時点でジュニアのためにお金を払っています。
さっきの「お金を払ったらジュニア担」とかいう理屈でいうともう完全に降りてます。

初日に入ったのですが、全く予想していなかった(むしろ考えないようにしていた)バンド形式で。
先述の通り楽器に弱いので、死ぬほど沸いたのは言うまでもありません。

神宮寺に降りそうな戸塚担の友人と入り、彼女はそのまま神宮寺担になりました。
東京タワーに向かって「ゆうたに降りるー!!!」と宣言をしていた彼女の姿は今でも忘れません。

それでも「ジュニア担になる」ということは重い十字架を背負うような気がしていて、降りる!と宣言できませんでした。
君に届け」「世界一初恋」もびっくりのひっぱり具合。
こうして時間ばかりがすぎていきました。

運命の3月 追い打ちをかけるかのようにJ's partyが開催。出演。

もうこの頃になると今とほぼ変わらない真田くんめろ女を化していたのですが、あくまで五関担(久々にでたこのワード)として入りました。

しかし幕が開いて、ライトを浴びた真田くんが現れたとき、

ああ…もうめっちゃ好きだ……

キラッキラなんですよ、とにかく。
全然おじいちゃんでも隣のお兄さんでもなくて。

「この人の担当を名乗りたい!」「これからの活動を見逃したくない!」という気持ちになって。

ああ、もうこれは担降りだ~…と、
あんなにもジュニア担になるのが怖い!とか言っていたのが嘘のようにすとんと落ちてきました。
いや、落ちていきました。


なぜこのタイミングでだったのかは全くわかりません。
でもこの瞬間に片手でぶら下がってた崖の上から谷底へ落ちて行きました。
わかんないけど多分運命だった!(躁)


こうして私はずっと恐れていたジュニア担に、真田くんの手でさせられました。
真田くん、責任もって私を貴方の手でデビュー担に戻らせてね!


おわり


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11歳からジャニーズ事務所に所属している真田くん。

色々なグループ所属も経験して。
ソロで舞台をやるような時期も経験して。
大学進学もしていたし、もし「もうやめよう」と思っていたらそれもできたはずです。

普通の男の子が過ごすような青春を過ごせないかもしれないのに、
同じ年代の子たちが辞めていく中、
辞めないでいてくれてありがとう。

アイドルという職業を選び続けてくれてありがとう。

24歳もステージで輝く姿を観られたこと。
25歳の誕生日をお祝いできたこと。
これからもステージに立ち続けてくれると、ファンが信用してついていけること。

全部全部真田くんが頑張ってくれたおかげです。
本当に本当にありがとう。


真田くんを応援する人生という選択肢を選んで、とっても幸せです。
あなたのファンになって良かったです。

25歳も素晴らしい一年でありますように。

お誕生日おめでとう!

 

*1:今は公式ペンライトのみ可ですが、2014年まではクリエでも団扇を持てました。

*2:コンサートは少ないが舞台の多いグループ。